シルバーの価値。だからヨーロッパの人はシルバージュエリーを大切にする
Text=Ikuko Watanabe
シルバージュエリーは、日本では安価なアクセサーという認識を持つ人が多いようですが、ヨーロッパでは古代からシルバーを愛用し、長い歴史がある故に、グラム単位の価格がゴールドやプラチナよりも安いとはいえ、軽んじてはいません。
プラチナ10%をプラスしたシルバーにダイヤモンドをセット。これほどゴージャスなシルバージュエリーは他では出会えません。
わかっている限りでは、シルバーの歴史は紀元前4世紀頃、現在のトルコで鉛から銀を抽出する方法が解明され、同時期、世界最古の文明が発達していたといわれるメソポタミア(現在のイラクの一部)で銀貨が使われていたという記録があります。
古代エジプトでは、ゴールドを使ったり、シルバーを好んだり、棺の遺跡から判断すると流行に左右されたと歴史家は分析しています。ツタンカーメン(在位・紀元前1336年頃-1327年頃)の時代にはゴールドが豊かに使われていますが、シェションク2世(在位・紀元前887年頃-885年頃)の時はシルバー、棺も銀製です。
古代ローマ、金メッキの技法が存在する
シルバーにプラチナを合わせた独自の素材。プラチナ、ロジウム加工により、白さを長く保ちます。ダイヤもポイント。
古代ギリシャやローマでは、シルバーは生活の中で非常に重要な役割をなし、商売は銀貨に依存し、リング、ブレスレット、ペンダントなど多様なジュエリーも製作されました。古代ローマの博物学者プリニウスの『博物誌』によると、古代ローマでは銀食器、調理器具にも銀製品が好まれ、女性用の長椅子を銀メッキしたとあります。もちろん富裕層に限る話でしょう。すでに金メッキの技法も生まれており、ゴールドが不足した際にはシルバーに金メッキを施していました。
ケルト人はシルバージュエリーを身につける以外に、銀、銅、ブロンズ、金で指輪貨幣を作り、使っていました。バイキングは膨大な量のシルバーをスカンジナビアに持ち運び、ノルウェー、スウェーデン、デンマークにおいてシルバージュエリーの伝統の基礎を築きました。デンマークのジョージ・ジャンセンを筆頭に、北欧生まれの洗練されたシルバージュエリーは世界中で人気があります。
アメリカ大陸(現在のメキシコ)で大量の銀鉱山が発見されると、スペイン、ポルトガル、オランダ、フランス、イギリスによってヨーロッパに運ばれました。コロンビアでダイヤモンドが見つかると、白い貴金属であるシルバーはダイヤモンドを留めるために必要となります。イギリスの歴代の王族の王冠やティアラ、その他のダイヤモンドジュエリーは、1735年、コロンビアでプラチナが発見されるまで、シルバーが役目を果たしました。
このような長い歴史があるため、ヨーロッパではシルバーもファインジュエリーとして扱われます。加工しやすく、多様な造形が可能であることも好まれる理由です。イギリスで18世紀に起こった、芸術性やデザインの向上を追求するアーツ・アンド・クラフツ運動ではシルバーが中心でした。
シルバーは色変化するといって嫌う人もいますが、手入れすれば、白い輝きを戻します。ジュエリーはそもそもお手入れが必要なものです。服をクリーニングするとの同じように、まめに専用の布などで、皮脂や埃の汚れを取り除いてあげてください。
しっとりとしたつけ心地は、チェーンネックレスを得意とするイタリア製ならでは。1.5cmと幅がありますが、装着感は軽やかです。イタリア製。
シルバーのパーツをつないだネックレス。首元にすっきりフィットする44cmの長さです。シャツ、Uネック、Vネック、ボーダーと、どんな襟元にも似合います。
Makiko Takahashi シルバーxプラチナイヤリング(ピアス)
シルバーにプラチナをプラスした独自開発の素材。真っ白なシルバーとダイヤモンドが耳元で輝きます。イヤリング、ピアス。オーダーで製作します。
ビザンチン様式といわれるクラシックなチェーンを、モダンにアレンジしたネックレスです。チェーンのデザインが個性的です。ビザンツ帝国(東ローマ帝国ともいう)は1453年に滅亡し、ヨーロッパに逃れた人々によって独特の芸術文化がもたらされた。