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ニナリッチ

パリのクチュリエの精神を反映させた、ニナ リッチ(NINA RICCI)の世界観

Written by MACHIDA Akemi

マダム ニナ・リッチは、デザイン画を描かずに顧客のボディに直接布を当ててカットを施すという独自の技術で、エレガントなドレープの入り方、腰の位置、袖のふくらませ方など、美しいシルエットにこだわった。

 

女性らしさを追求したブライダルジュエリーは、マダム ニナ・リッチの卓越したクチュール技術を投影したかのような美しいラインが特徴。


SNSが身近な存在となり、InstagramやYou Tubeで即座に世界中のファッションをチェックできるようになっても、モードの中心、パリの女性の着こなしやパリ発祥のブランドは憧れの的です。その草分け的な存在、ニナ リッチは、88年以上にわたりパリから全世界にラグジュアリーなモードを発信し続けています。

オートクチュール全盛期の1932年、マダム ニナ・リッチは息子ロベールとともにパリのカプシーヌ通りにショップをオープンしました。オートクチュールとは、20世紀初頭にパリで栄えた注文が入ってから作る1点ものの高級服です。仮縫いは一般的に3回、試着・補正を繰り返すので、時間と手間がかかります。

イタリアのトリノで生まれたマダム ニナ・リッチは、10代の頃からお針子としてキャリアをスタートさせ、18歳の時には、とあるアトリエのチーフとして働いていました。独立し、自身の店を出してからは特に布地の裁断において、生まれながらの才能が開花します。それは、デザイン画を描かずに顧客のボディに直接布を当ててカットを施すという斬新なやり方でした。マダム ニナ・リッチは顧客を一目見ただけで、どこにポイントを置いてドレスを作れば、その人を輝かせることができるのか、すぐにわかったといいます。エレガントなドレープの入り方、腰の位置、袖のふくらませ方など、美しいシルエットのニナ リッチのドレスは上流階級を中心にたちまち人気となり、シーズンごとに規模を拡大していきました。

マダム ニナ・リッチ

1948年、香水「レール デュ タン(時の流れ)」が発表されました。ラリック社に依頼した容器は愛と自由のシンボル、2羽の鳩が据えられたロマンティックなクリスタルボトルとなって完成し、マダム ニナ・リッチが仕立てる服のような優雅さな香りは、現在も世界中でトップセールスを記録しています。フランスでは香水はファッションの1つとして見なされていますが、「レール デュ タン」のヒットによりニナ リッチは、フランスのトップメゾンとしての揺るぎない地位を確立しました。

レール デュタン

ファッションは社会情勢や価値観などによって変化していきます。そういった時代の変化を受け止め、エレガントさを失わずに、そこにさらに女性が求めているものを提案しているのがニナ リッチです。年に2回行われるプレタポルテにインスパイアされたジュエリーコレクションや、ブライダルジュエリー「ニナ リッチ」「プレステージ」にもメゾンの精神が受け継がれています。

ニナ リッチ プレステージ

女性らしい美しさを追求したワンランク上のブライダルジュエリー「プレステージ」は、同シリーズ内のすべてのエンゲージリングとマリッジリングがセットで着けられるようにデザインされています。自分の好みでプラチナ、ゴールド、ピンクゴールドから選んでコーディネートできるのが魅力です。凛とした一粒ダイヤモンドやV字のラインは、女性の指を美しく際立たせてくれます。緩やかな地金のウェーブのデザインは、ニナ リッチのドレスの美しいドレープのようです。完成まで長い歳月を要するオートクチュールのように、職人が細部にもこだわり、身につける人を想いながら1つ1つ丁寧に作られています。

1959年にマダム ニナ・リッチは老齢のために創作活動から引退。その後は数名の後継者によって引き継がれ、現在はクリエイティブ・ディレクターにルシェミー・ボッタ―とリジー・ヘレブラーの2人が就任しています。2人はニナ リッチのアーカイブを大事にしながらも、そこに新しい大胆さやひねりをプラスしてメゾンの新境地を開拓していますが、ニナ リッチらしいフェミニンさは変わっていません。

ルシェミー・ボッタ―とリジー・ヘレブラー

ジュエリーにもニナ リッチの世界観が反映されています。女性はどんな時でも女性らしく、気品がなくてはならないというマダム ニナ・リッチの想いがジュエリーにも込められています。フェミニティで美しいニナ リッチのジュエリーは、どんな時でも未来に向けてポジティブに生きる女性をいきいきと輝かせます。

パリのモンテーニュ大通りの本店

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