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物語のある真珠「バローダ」。宝飾史に語り継がれるインドのマハラジャが遺した真珠

Written by Brand Jewelry

華麗な生活を支えたパール。インド・マハラジャのレガシーを永遠に残す。

2007年4月、ニューヨークで開催されたクリスティーズのオークションで、天然 真珠「バローダの真珠」が出品され、ジュエリーとしては当時のオークション史上最高価格で落札されました。それは、2連の天然真珠のネックレスとイヤリング、リングのセットで、落札価格は7,0996,000 USドル、当時のレートで約8億円という高額で決まりました。

「バローダの真珠」はインド由来のものです。 インドのマハラジャ達は代々家に伝わる見事な宝石コレクションを持っていましたが、中でも19世紀の最も重要な宝石コレクターと名高いバローダ藩王国のマハラジャ、ハンデ・ラオ・ガエクワールが所有していたのが筆舌に尽くしがたいほど見事な美しさと大きさをそなえた「バローダの真珠」でした。この希に見る天然真珠は、その後もバローダ藩王国のマハラジャに受け継がれていきました。

1943年、当時のバローダ藩王国のマハラジャ、プラタプシン・ラオはシタ・デヴィという美貌の女性と結婚します。社交界でも有名だった彼女は「東洋のウォリス・シンプソン夫人」と呼ばれるほど宝石が好きでした。彼女を心の底から愛していたマハラジャは彼女にバローダの真珠をはじめとする、王国のジュエリー コレクションを贈りました。

1946年、夫妻はインド以外にも暮らす場所を探すために、ヨーロッパに旅立ちます。そしてモンテカルロに邸宅を購入し、シタ・デヴィはこの邸宅に暮らすようになりますが、やがて2人は離婚してしまいます。

離婚後もシタ・デヴィはモナコとパリに住み、セレブリティが集まるパーティに明け暮れる華やかな生活を続けました。 旅をする時、彼女はたくさんのジュエリーとともに何千枚ものサリー、何千足もの靴を持っていっ たといいます。しかし、華やかな生活をするための資金も次第に減っていき、秘密裏に大好きなジュエリーを売却するようになります。シダ・デヴィの最期は寂しいものでした。最愛の息子の自殺がきっかけで心身ともに病み、1989年パリで亡くなりました。

「バローダの真珠」のネックレスはもともと7連でしたが、大粒のものを選りすぐって2連にしてオークションに出品されました。1粒のサイズは大きなものは16.04mm、最小でも9.47mmあります。養殖ではなく、天然の真珠というだけで希少価値がありますが、これだけ大粒で形の揃った天然真珠は自然が生んだ奇跡です。

書籍:MAHARAJAS’ JEWELS, THE VENDOME PRESS

*この記事は『Brand Jewelry 2014 Summer-Autumn』を再編したものです。

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