エリザベス女王の王冠とティアラ。引き継いだもの、自分でオーダーしたもの
Written by Ikuko Watanabe
庶民には縁遠い王冠やティアラ。歴史や政治が絡んだり、またはおしゃれのためにオーダーメイドしたり。エリザベス女王の頭上を飾った数ある王冠の中から一部をご紹介します。
9月8日、エリザベス女王が逝去されました。96年の人生のうち70年余りを56か国のコモンウェルス(イギリス連邦)の君主として国と国民に奉仕してきたその生涯は、平穏だったと言えません。イギリス王室は絶えずスキャンダルに直面し、その度、女王は火消しと謝罪に追われ、一時国内で王室廃止論が拡大しました。しかし、女王は周囲の意見に耳を傾け、時代の移り変わりに柔軟に対応し、王室の旧式な慣習にメスを入れ、「開かれた王室」を実現。女王の努力は報われ、王室廃止論の声は小さくなり、女王の人気はロイヤルファミリーの中で1位です。親しみやすさと同時に威厳も維持しました。ここでは、女王の存在を象徴する王冠について紹介します。
多くの人が一度は目にしたことがあるのはエリザベス女王の戴冠式の写真でしょう。ずっしりと重い「大英帝国王冠」を頭上に戴きすべての儀式を執り行ったエリザベス一世は、その時25歳、うら若い女性でした。「大英帝国王冠」は戴冠式など最も重要な国家行事の際に着用する王冠で、1937年、ジョージ6世の戴冠式のために王室御用達宝石商ガラードが製作しました。クロスパティーと呼ばれる十字架とアヤメモチーフのフルール・ド・リスが交互に配され、上にはダイヤモンドの装飾がハーフアーチという形で十字にかけられています。正面の赤い石はかつてルビーと間違えられていたレッドスピネルで「黒太子のルビー」(Black Prince’s Ruby)と呼ばれるもの。この宝石は14世紀、大変優秀な軍人であったエドワード黒太子(プリンス・オブ・ウェールズ)が入手したものですが、長いことルビーを信じられていましたが、18世紀、鑑定技術の進歩によってレッドスピネルであることが判明しました。ちなみに「黒太子」という名称は、彼の甲冑が黒だったためと言われます。
もう1つ象徴的な石は、スピネルの下に据えられている317.40カラットのダイヤモンド「カリナンII」です。これは1905年にアフリカで発見された3016カラットの原石から切り出されたルースです。カリナンはエドワード7世の依頼によりオランダのダイヤモンド・カッター、ロイヤル・アッシャーが綿密な計算に基づいて9個の大きな石と小さな96個のルースにカットしました。「カリナンII」はその中で2番目に大きいものです。最大の530.20カラットの「カリナンI」はロンドン塔に展示されています。
さらに、エドワード懺悔王由来と推定される「聖エドワードのサファイア」が上部の十字架の中央にセットされています。聖エドワードはウェストミンスター寺院の基礎を造り、支配者よりも修道士として生きることを好んだ人と言われます。ウェストミンスター教会では戴冠式など王室行事が行われ、イギリス王のほとんどが埋葬されています。
アクアマリンのティアラは、1953年の戴冠式の際にブラジル政府から贈られたアクアマリンのネックレスとイヤリングに合うように、エリザベス女王自身がラードに製作させたもの。中央の長方形のアクアマリンが圧倒的な美しさを放っています。
「ウラジミール・ティアラ」は、帝政ロシアの貴族マリア・パヴロヴナの所有でしたが、革命の最中、最後のロシア皇帝となったニコライ2世が暗殺されるとすぐ逃避資金のために売却され、イギリスの美術商がのちにエリザベス女王の祖母のメアリー王妃(メアリー・オブ・テック)に売りました。ウラジミール・ティアラは移送中に金の枠の一部を破損してしまったため、ガラードがプラチナで修復しました。スクロール状のダイヤモンドの中心に、大粒のパールが揺れる華麗なティアラです。
エリザベス女王は可愛い印象の「ザ・ガールズ・オブ・グレートブリテン・アンド・アイルランド ティアラ」もよく着けられました。それは大小のさまざまなカットのダイヤモンドで製作された繊細なティアラです。1893年、メアリー王妃が自分の結婚式に着用し、エリザベス女王はこのティアラに日本政府からプレゼントされた4連のパールネックレスを組み合わせました。
次は誰がこれらのクラウンやティアラを着用するのでしょうか。
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