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ジュエリーと、ジュエリーにまつわるさまざまなエピソード

No.169 古代エトルリアで花開いたグラニュレーション、その栄枯盛衰に迫る

BJI ブログ No.169

今回は、当ブログNo.164でも取り上げた金細工の技法、グラニュレーションについて、もう少し掘り下げてお話ししたいと思います。

ゴールドジュエリーは古代エジプト時代、紀元前3000年ごろから作られてきましたが、グラニュレーションの技術で作られた宝石の最古の考古学的発見は、メソポタミアのウルの王家の墓からで、なんと、紀元前2500年にさかのぼります。この技術はその後、シリアのアナトリア、紀元前 2100 年にはトルコのトロイへ、そして紀元前8世紀にイタリア半島中部、エトルリアへと広がりました。冶金学の知識と貴金属の使用がすでに高度な段階にあった同時代において、フェニキア人とギリシア人の職人たちによって広められたこの技法は、エトルリアの金細工職人たちを魅了、他には見られない複雑さと美しさを備えた多くの芸術作品を生み出しました。

古代ギリシア人も金細工にグラニュレーションを採用していましたが、エトルリアの職人たちの技術の方がよく知られていました。その理由は、彼らは極微細の粒をはんだを使用しないで配置しているように見える、高度な技術をもっていたからなのです。

エトルリア人は非インド・ヨーロッパ語族で、独立した言語を使っていたとみられます。紀元前7世紀から5世紀ごろにかけて繁栄を謳歌、裕福で高度な文字文化を持つ文明を築いていました。しかし、後にローマとの戦いに敗れて次第に衰退、紀元前2世紀ごろにはローマ人に同化。エトルリアの文化はもちろん、グラニュレーションの技法も消失してしまいます。

グラニュレーションが再び日の目を見るのは、1800年代の前半。当時、ヨーロッパでは古代文明の発掘が盛んに行われ、ローマ近郊で実施されたいくつかの発掘調査の際に、グラニュレーションが施された古代エトルリアとギリシアのジュエリーが発見されたのです。

古代の宝石研究に深く関わっていた宝石商のピオ・フォルトゥナ・カステラーニは、その品々に深い関心を寄せます。特にエトルリアの出土品に極小の粒が使われていたことに注目し、その研究や復刻に力を尽くしました。1851年カステラーニの引退後、その事業は2人の息子、アウグストとアレッサンドロに引き継がれます。彼らは出土品を分析し、「古代のジュエリーは金属を曲げたりカットするのではなく、金属にディテールを付け足していくことで作られていた」ことを知ります。1850年代カステラーニのジュエリーは、「考古学的ジュエリー」と呼ばれ一大ブームとなりました。1860年代に入るとパリに出店、1862年に店をロンドンに移します。1870年代は同ブランドの絶頂期。カステラーニの考古学風ジュエリーについての講演会には、ナポレオン三世が同席したということから、その繁栄ぶりがうかがえます。

時は移りブランドの歴史に幕が下ろされた現在、カステラーニのほとんどのコレクションやデッサン、資料などは、ローマのヴィラ・ジュリア美術館に寄贈されています。また、ヴィクトリア&アルバート博物館などにも一部作品が所蔵されています。

カステラーニの古代エトルリア風の「撚り線」と「グラニュレーション」は見事なもので、現在ではアンティークジュエリーとして知られています。しかし、古代エトルリアの技法とはまた別物で、その技法が解明されるのは20世紀に入ってからです。

グラニュレーションは、手で極小の粒を1粒ずつ金属板に貼っていく気の遠くなるような作業。取り組む作家も少ないため、日本ではあまり知られていませんが、画像を通して作品を見ても繊細なその美しさに魅了されます。

それにしても古代にどうやってあの技法を生み出すことができたのか、いまだ謎に包まれています。


TOP画像出典:www.hancocks-london.com

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