ファッションとジュエリーの親密な関係 (Vol 2)
Written by Horie Ruriko
堀江瑠璃子(ほりえるりこ) ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。NHK番組審議委員、『マリー・クレール』エディトリアルディレクターなどを経てフリーランス。著書に『世界のスターデザイナー43』など。
20世紀に入り、王室の崩壊、産業革命、ブルジョアジーの台頭などによって、それまで王侯貴族の象徴であった宝飾が、一般の女性のおしゃれアイテムとして広まった。ファッションを見続けてきたジャーナリストが20世紀初頭から現代までのファッションとジュエリーの流れを振り返る。
戦後の見事な復活と60〜70年代のトレンド
第2次世界大戦中は、ダイヤモンドもプラチナもゴールドも流通しなくなり、ファッションハウスもハイジュエラーも、ほとんど休業状態に陥った。しかし、戦後の1947年クリスチャン・ディオールが「ニュー・ルック」を発表したこがきっかけとなり、パリの町にも徐々に贅沢さが戻り、女らしさやエレガンスが復権した。50年代に入るとダイヤモンド市場も復活し、1963年のエリザベス女王の戴冠式を機に人びとのダイヤモンドへの関心は、一気に高まった。
左:1955年 CARTIER AD 右:1972年 DIOR AD
当時パリ社交界のスター的存在だったウォリス・シンプソン・ウィンザー公爵夫人は、カルティエのトラやヒョウをモチーフにしたブローチやブレスレットを愛用、ファッションやアクセサリーに動物柄が流行するきっかけともなった。
ロンドンのマリー・クヮントのミニが世界を席巻し、パリでは前衛派のピエール・カルダンが登場した60年代には、アクセサリーとしては金めっきの幾何学模様やオニキスを大胆に使ったモダンで大ぶりなデザインが、注目された。ディスコ・フィーバーが起きた70年代は、超ミニや体にぴったりのセクシーなファッションが主流となり、素材にはラメやビーズ付きの派手なものが多く、ジュエリーはボリュームがあるもの、揺れるもの、ポップなものが、若い女性の心を捉えた。
80年代から現在までジュエリーの人気は衰えない
世界的にバブル景気を謳歌した80年代は、パリコレではティエリー・ミューグレ、ジャンポール・ゴルチエ、ケンゾーらが大胆で華麗なファッションを競い、スーパーモデルも登場した。しかし、ファッション自体が華やかなせいか、ジュエリーを身に着けない風潮が続いた。とはいえ、ハイジュエリーとしては、希少性の高いカラー・ダイヤモンドへの関心が高まり、万華鏡のようにまばゆいマルチカラーのダイナミックなネックレス、ブレスレット、リングなども好まれた。また、真珠もタヒチ産などの大珠でカラフルなものや、ブラックダイヤモンドと組み合わせたデザインのものなど、いわゆるパワーパールが注目された。
20世紀末から21世紀のいまにかけては、バブル崩壊に続くリーマンショックの影響もあり、低価格帯のファスト・ファッションが勢力を拡大する中で、ハイファッションは低調だ。しかし、そんな危うい時代だからこそ、永遠の価値を持つジュエリーへの関心は高まっているともいわれ、その証拠にファッションブランドのジュエリー界参入が相次いでいる。そんな中で好例として注目されているのは、ディオール。 ヴィクトワール ・ドゥ ・カステラーヌが手がけるそのジュエリーは、さまざまなカラーストーンを奔放に駆使して、なお優雅でもあるファンタジーの世界だ。
また、ハイジュエリーに限らず、最近のジュエリーに共通するモチーフは、オーガニック・スタイル。海や大地から動物や昆虫から、インスピレーションを得たデザインが、注目されている。
左:2012年2月ミラノのダミアーニ本店新築オープンで、女優のシャロン・ストーン。右:ダミアーニのハイジュエリーから「メドゥサ」(ネックレス)。
左:ディオールファインジュエリーのクリエイター、ヴィクトワール・ドゥ・カステラーヌ。右:ディオールのハイジュエリー「Dear Dior」。
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