NO.230 カルティエが制作、100年近い時を経て今も輝くマハラジャジュエリー「パティアーラネックレス」
インドでジュエリーと言えば、マハラジャを思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。インドの王族、豊富な富、宝石で飾られた豪華な宮殿で贅を尽くした毎日を送るというイメージですよね。
20世紀前半、パティアーラ自治領を統治したマハラジャ、ブピンダー・シン卿の生活は、まさにそのものでした。パティアーラは現在のバンジャーブ地方に位置し、インド・パキンスタン分割の際に分割された地域です。
ブピンダー・シン卿はインド人として初めて航空機を所有し、その飛行機の滑走路を作らせ、宮殿のガレージには44台のロールスロイスがあったことなどからも、そのゴージャスな暮らしぶりがうかがえます。彼は、父が購入したデビアス社の鉱山で発見されたイエローダイヤモンド(なんと、世界で7番目に大きい!)を受け継いでいました。1925年、それを使ったセレモニー用のジュエリーを制作するようカルティエに依頼したのです。
その時、カルティエに渡した箱の中にはホワイト、イエロー、ブラウンなどのダイヤモンド、色鮮やかなルビーやエメラルドを始めとした最高級の宝石が入っていたと言われています。
3年の月日をかけ完成したのは、プラチナ枠に2,930ピース(合計1,000カラット以上)のダイヤモンドとビルマ産ルビー、センターにはデビアスのイエローダイヤモンド(234.6カラット)が輝くネックレスでした。
「パティアーラネックレス」と名付けられこのネックレスは、彼の最も大切な宝飾品の1つとして、1938年に亡くなるまでセレモニーの席で身に着けていました。
その後、彼の息子であるヤデビンドラ・シン卿に引き継がれましたが、1948年マハラジャの国庫から紛失したと報告され、行方不明となります。
再びその姿を現したのは、1982年サザービーズの競売でのこと。センターにあしらわれていたデビアスのダイヤモンドが出品され、316万ドルで落札されました。
さらに16年後の1998年、たまたまロンドンのアンティークショップを訪れたカルティエの従業員によって、ネックレスの一部が発見されました。それは、ダイヤモンドとルビーの大部分が取り除かれた、見るも無残な姿でした。カルティエはそれを買い取り、紛失したダイヤモンドの部分にはレプリカを、そして合成ルビーやキュービックジルコニアをセッティングしてオリジナルと同じ姿に復元。それに費やした歳月はなんと4年! 2002年にニューヨークで初披露され、2016年には日本でも展示され話題となりました。
2022年、ニューヨークのマンハッタンで開催されたメットガラで、カルティエのブランド・アンバサダーを務めるアメリカの人気ユーチューバー、エマ・チェンバレンが、チョーカーネックレスとして着用しました。
歴史的な価値やそのゴージャスさが注目された一方で、インド系アメリカ人を含む一部からは非難めいた声もあがりました。
「ユーチューバーがレッドカーペットで盗品を誇示するとはいかがなものか」とか、「カルティエはインドの盗まれた歴史の一部をチェンバレンに着用させた」といったものです。
何かとお騒がせなこのネックレス。気になるデビアスのダイヤモンドの所在は依然として不明。現在、もしすべて元のダイヤモンドを配した状態にあれば、推定3千万ドル(約31億8千万円)の価値があると言われています。
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ダイヤモンドの合計0.5ct、トップの直径が約1.3cm。胸元で存在感を放つダイヤモンドネックレスです。フラワーモチーフになるようにいくつものダイヤモンドをセッティングし、一部に設けられた空間により、デリケートな雰囲気が漂います。プラチナ、イエローゴールド、ピンクゴールドの3カラーからお選びいただけます。
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