キツネの口から真珠が出た話
Text = Yamada Atsumi
山田 篤美 歴史研究者・美術史家。京都大学卒業、博士(文学、大阪大学)。忘れられた過去の歴史に脚光を当てる執筆活動を展開。著書に『真珠の世界史』(中公新書)、『真珠と大航海時代』(山川出版社)、『黄金郷(エルドラド)伝説』(中公新書)、『ムガル美術の旅』(朝日新聞社)など。
天然真珠時代、真珠は海に潜り、海底の貝を集めることで採取した。しかし、その真珠がめぐりめぐって、思いもよらないところから出ることがあった。その代表例がキツネの口から真珠が出た話だろう。一〇世紀の知識人アブー・ザイド・アルハサンが書いた『シナとインドの諸情報』というアラビア語文献には次のような話が載っている。
時代は一〇世紀かそれ以前。あるアラブの遊牧民がアラビア半島の東海岸を馬に乗って通った。すると、一匹のキツネが何かに口をはさまれて砂浜で死んでいるのに気がついた。近寄ると、キツネの口に白く光る皿のようなものがあり、その中にころころしたものがあった。
遊牧民はそれが何だかわからなかったので、バスラという町の薬物商に行って尋ねると、それが真珠で、値段は百ディルハムだと告げられた。遊牧民は喜んでその値で真珠を売り、家族のための食料品を購入した。一方、薬物商はその真珠をもって平安の都バグダッドに行き、かなりの高値で売却することができた。それによって自分の事業も拡張できた。
なぜキツネの口に真珠があったのか
キツネの口に真珠があった理由として、著者のアブー・ザイド・アルハサンが考えた経緯は次のとおりだった。海辺にいた貝が口を開けている時、キツネが貝の身を食べようと、貝に口を突っ込んだ。すると貝はキツネの口をパクッとはさんだ。そもそも貝というものは、いったん口を閉じれば、鉄の道具でも使わない限り、決して口を開かない。貝がキツネを虜にしたのだった。キツネは必死で走り回り、貝を左右に振り、地面にたたきつけたが、貝はキツネから離れなかった。やがてキツネは死に、貝も死んだ。アラブの遊牧民が真珠を発見し、彼が薬物商に売ったので、神の恩寵に恵まれたのは薬物商だった。
以上がアブー・ザイド・アルハサンの記述である。彼は実際に耳にした驚異のひとつとしてこの話を取り上げている。真珠は海に潜ってもなかなか採れないものなのに、それがアラビア半島の陸地から、しかもキツネの口から出たことが大きな驚きで、面白かったため、当時、話題になっていたのだろう。この話の真珠貝はキツネの口をはさめるほどだったので、おそらくペルシア湾に生息するクロチョウガイであり、真珠はクロチョウ真珠だろう。
真珠が採れず破産寸前になった人の話
ところで、当時、真珠を得るのがいかに大変だったかについては、『インドの驚異譚』という一〇世紀の別のアラビア語文献が興味深い話を伝えている。
その話によると、アラビア半島のオマーンにムスリム・イブン・ビシュルという敬虔な人物が住んでいた。彼は真珠採取を生業としていたが、真珠が採れない日が続き、破産寸前となった。そこで彼は最後まで残っていた妻の高価な腕輪を金に換え、二カ月間の契約で潜水夫たちを雇い、再び真珠採取に乗り出した。
しかし、潜水夫たちが五十九日間潜っても、真珠はひとつも採れなかった。六十日目、ついにある潜水夫が見事な大粒真珠を採取した。ただ、その大粒真珠は、真珠が採れずやけになった潜水夫がアッラーではなく、悪魔イブリースの名前を唱えて得たものだった。イブン・ビシュルはそれを知ると、真珠を砕いて海に捨ててしまった。彼は驚く潜水夫たちに悪魔の名で得た真珠は受け取れないと語り、神の名を唱えて再び海に潜るように命じた。そして契約期限が切れる日没までに大小二つの真珠を手に入れることができた。
イブン・ビシュルはバグダッドに行き、カリフ、アッラシードに謁見して大粒真珠を七万ディルハム、小さい真珠を三万ディルハムで買ってもらった。オマーンに帰ると、その十万ディルハムで豪邸を建て、土地や建物を買い、彼の家はオマーンで評判になったという。
敬虔な人には神の恩寵があるという典型的な話といえるだろう。オマーンの外洋にもクロチョウガイが生息しているので、この真珠もクロチョウ真珠だろう。それにしても、何人もの潜水夫たちが六十日間海に潜って得た真珠が三つというのは、気の遠くなる数字である。ただ、見事な真珠が入手できれば、一気に財を為すことも可能だった。
このように考えると、キツネの口から出た真珠を百ディルハムで売ってしまった先ほどのアラブ遊牧民は買いたたかれた感があり、少々気の毒になってくる。商品知識と相場感はいつの時代も大事であるといえるだろう。
『インドの驚異譚』には次のような話もある。ある人が大きな魚を塩漬けにしようと魚の内臓を取り出すと、内臓から幾つかの貝が出て、さらにその貝からまた貝が出て、中に大粒真珠が入っていた。その大粒真珠をカリフが十万ディルハムで買い上げてくれたという。塩漬けにしようとした魚から真珠が出るのは、想像するだけで楽しい話である。
ウナギやタコからも真珠が出る
しかし、そうした話では日本だって負けてはいない。実は日本ではウナギとタコから真珠が出た。ウナギは口を開けているアコヤガイに尻尾を突っ込み、あっという間に尻尾と頭を入れ替えて、貝の身を丸ごと食べてしまう。そのためウナギを釣ったら、内臓から真珠が出て、地方紙のニュースになることが昭和時代には時々あったそうである。
一方、タコは八本の足でアコヤガイを包みこんで窒息させ、身をむさぼり尽くす。タコの内臓から多数の真珠が出ることは、明治・大正時代の地蒔き式の真珠養殖場ではよくある話だった。ウナギやタコ以外には、フグやボラ、タイ、クロダイ、イシダイがアコヤガイを貝ごと食べることで知られている。
そこで朗報なのが釣好きの夫を持つ奥様方。夫が釣りあげたフグやボラやタイの内臓を調べると、神の恩寵に恵まれて、ひょっとすると真珠が出てくるかもしれませんよ!
左:ペルシア湾には日本のアコヤガイと近縁種の貝も生息していた。図版は19世紀のカージャルー朝ペルシアのシャーの肖像画。ターバン飾りから弓にまで真珠が使われている。(Abolala Soudavar, Art of the Persian Courts)中 : パーレビー朝イランのファラー王妃が使用した王冠。1967年、ヴァン クリーフ&アーペル制作。真珠105個、ダイヤモンド1469個を使用。ドロップ形の真珠はおそらくクロチョウ真珠。(Treasury of National Jewels)右 : おそらくペルシア湾産の天然真珠のブローチ3点。カモには黒真珠、ハクチョウには白真珠が使われている。19世紀制作。(Treasury of National Jewels, The Central Bank of the Islamic Republic of IRAN)
左:『Art of the Persian Courts』の表誌。右:イスラーム世界のディルハム銀貨。14世紀鋳造。(Art of the Persian Courts)
TOP画像 : Abu Zayd Hasanの著書『Ancient accouns of India and China』1733年、ロンドンで発行された訳書。英訳ではシナとインドの順番が逆になっている。
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