NO.266 日本ならではの髪飾り。古代から現代へ伝わるかんざしと櫛
Text=Brand Jewelry
日本の伝統的な衣装、着物。そこから派生した日本独自の宝飾文化の1つとして、ブログNO.265で帯留めを紹介しました。今回は、かんざしと櫛(くし)を取り上げます。
中国から入ってきた櫛の原型
日本における櫛・かんざしの歴史は、遠く石器時代にさかのぼります。古代では呪力(じゅりょく)のあるものと考えられていました。髪に1本の細い棒をさし、魔よけとして身に付けられました。
この細い棒は「髪串」と呼ばれ、後にかんざしへと発展していったといわれます。髪串を何本か束ねて櫛のように用いたのもあり、それが櫛の原型になりました。
奈良時代、中国から「髷(まげ)を結う」文化が伝わり、日本でも男女ともに髷を結う習慣が広まりました。しかし、平安時代になると髪を下ろしたヘアスタイルが主流となり、かんざしや櫛の文化は衰退します。
かんざしや櫛の文化の復活は、安土桃山時代。出雲阿国が歌舞伎で髷を結ったことがきっかけと言われています。江戸時代には髷を結うことが一般的となり、「島田髷(現在の新婦の角隠しの髪型の原型)」や「勝山髷」といったさまざまな結髪が登場。かんざしや櫛は、実用目的として、さらに装飾品として大きく発達していきました。
櫛の中で一番人気は、べっ甲でした。1700年代中期、その人気と比例して徐々に高価になり、庶民には高嶺の花となりました。そのため水牛の角、馬や牛の爪などで似せて作った安価なものが登場しました。当時、象牙の櫛も流行し、シンプルなものから蒔絵が施されたものなどが作られました。明治時代に入るとべっ甲や象牙の模造品として 新たにセルロイドが加わります。
かんざしを現代のヘアスタイルに生かす流れが
かんざしは当初1本の棒状のものでした。1700年代前期、二股に分かれたものや耳かきがついたものが登場しました。耳かきがついた理由は、当時、贅沢禁止令が発令されたため、その取り締まりから逃れる苦肉の策だったといわれています。素材として代表的なものは、べっ甲と銀。江戸時代末期ごろには、今も人気の丸玉のサンゴのついたものが登場します。現在では舞妓さんが愛用しているビラビラかんざしが流行したのもこの頃です。
明治時代になると、サンゴのほかにメノウやマラカイト、コハクの玉などさまざまな素材を用いた玉かんざしが出回ります。またセルロイドを玉状にして赤色を付けたサンゴの模造品も庶民の間で流行しました。
現代では日本髪を結う機会はほとんどなくなりましたが、かんざしや櫛は、その美しいデザインはもちろん、1本で髪をまとめられる手軽さや機能性が見直されてきています。また、ブローチをかんざしとして使える便利な金具もできています。
日本で独自の発展を遂げたかんざしと櫛。和装、洋装という枠にとらわれず、もっと自由な発想で楽しめるといいなと思います。
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TOP画像出展:上/お初形・菊図べっ甲蒔絵櫛 下/利休形・月に帆掛け舟図べっ甲蒔絵螺鈿櫛(すべて日本宝飾クラフト学院蔵)Brand Jewelry 2017 SUMMER-AUTUMN
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