Bulgari – ワイルドポップ! / ブルガリの80’sトリビュート
Text=Kina Andersson
Freelance writer living in Uppsala, Sweden. フリーランスライター。スウェーデン、ウプサラ在住。Kinaのペンネームで、バーゼルワールド、ヴィチェンツァ・オロなどのジュエリーフェアなどを取材し、ヨーロッパの雑誌やウェブサイトに寄稿している。
ブルガリのハイジュエリーの新作「ワイルドポップ」。このブランドにとって重要な、1980年代という時代の活力からインスパイアされたコレクションです。
80年代を愛するディレクター
7月、イタリア・ローマのマルミ・スタジオで、ディナーが終わると、突然、イギリスの人気バンド、デュラン・デュランがステージに登場しました。
「ワイルポップ」、1980年代からインスパイアされたブルガリのニューコレクション。これほどブルガリらしさのあるジュエリーはありません。
「ワイルドポップ」は、強くて迫力がいっぱいです。細部の美しさはもちろんですが、全体にクレイジーで楽しく、80年代っぽい。このコレクションには限界などありません。
ブルガリと言えばソフトなカボションのジュエリーを思い起こすかもしれません。それとは異なる過激な表現、想定外のデザインにも拘らず、新作「ワイルドポップ」は疑いもなくブルガリのクラシックスタイルを継承しています。
マルミ・スタジオのディナーの直前、私たちプレスは、コレクションを体験しながらクリエイティブ・ディレクター、ルチア・シルヴェストリに会う機会がありました。ルチアは大好きな80年代について笑いながら語りました。その時代の自分の仕事、ヒット曲、人気のテレビ番組「マイアミ・バイス」「マドンナのスーザンを探して」、ピンヒール、ヘアスタイル、肩パッドなど……。
クリエイティブ・ディレクター、ルチア・シルヴェストリ。(2)Photo@Kina Andersson
「80年代の頃の自分の写真を見ると、決してお洒落ではないけど、とても楽しい時代だったわ」
ブルガリの歴史はギリシャから始まります。ギリシャの銀職人の息子だったソティリオ・ブルガリは、19世紀半ば、イタリアに移りローマで工房を開きます。そして1970年代の終わりには、ウォッチを製造するまでに店は発展しました。
80年代はまさにブルガリの時代でした。ゴールドチェーンに古代ローマ、古代ギリシャのコインペンダントをぶら下げた「モネーテ」、40年代の「トゥボガス」の復活。当時、強い個性で注目されたマルチタレント、グレイス・ジョーンズが「トゥボガス」を気に入ってつけていました。
「ワイルドポップ」は、 ポップアートのキング、アンディ・ウォーホルとブルガリの絆を讃えています。80年代、ニコラ・ブルガリはニューヨークでウォーホルと出会います。ウォーホルは、ローマを訪れる度にブルガリの店に現れました。彼は、「ブルガリはコンテンポラリーアートのミュージアムとして一番重要な場所だから」と言い残しています。
「ワイルドポップ」の中で、ルチアが好きだと言うのは、フラミンゴ・ネックレスです。これはオニキスとパヴェダイヤモンドで作られたジュエリーで、発表するとすぐに売れてしまいました。もう一つ気に入っているのは、2つのレコード盤を描いたブローチです。オニキスと彫りで制作されていて、本物のレコードにそっくりです。この作品では最新のテクノロジーと職人の熟練の技術を必要としました。シルビアの説明によると、レコードの溝を彫るだけで5〜6カ月かかったそうです。
左/「ワイルドポップ」を身につけたファッションショー。 右/イギリスの人気バンド、デュラン・デュラン。上/ レコ—ドモチーフのブローチ。下 /マイクからインスパイアされたブレスレット。
フラミンゴ・ネックレス。オニキスとパヴェダイヤモンド。
デヴィット・ボウイからインスピレーションを得たブレスレット。
猫好きだったアンディ・ウォーホルに捧げるネックレス。
アンディ・ウォーホルとニューヨークに捧げるネックレス。
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