No.153 エリザベス女王の母、エリザベス皇太后が戴冠式で着用した世界最古のダイヤモンド「コ・イ・ヌール」は、男性には不幸をもたらす
BJI ブログ No.153
2022年9月8日、エリザベス女王が亡くなったというニュースが世界を駆け巡りました。
日本でも9月12日~16日、東京のイギリス大使館に設けられた記帳台には多くの人が訪れ、テレビのニュースでは女王が即位した1953年の戴冠式の様子が何度も映し出されました。19日の国葬の様子はNHKでも放送され、亡き女王への思いの深さがうかがえます。
新国王として即位したチャールズ3世のウェストミンスター寺院での戴冠式は、来年行われる予定です。その時、新国王が着用する予定の王冠は、当サイトの特集記事「女王の王冠やティアラ」でご紹介した「大英帝国王冠」だと思われますが、カミラ新王妃はどんな王冠を身に着けるのでしょうか。
1937年エリザベス女王の父、ジョージ6世の戴冠式で女王の母親エリザベス皇太后は、世界最古のダイヤモンド「コ・イ・ヌール」がセッティングされた王冠を着用しています。
「コ・イ・ヌール」は、世界最古と言われるだけあって、さまざまな歴史をたどっています。その名前はペルシャ語で「光の山」を意味し、このダイヤモンドを所有する者は、世界を征服すると言い伝えられています。インドの鉱山で採掘されたのですが、どこから来たものなのかは不明。インドの古代叙事詩「マハーバーラタ」に登場し、その伝説によると太陽神スリヤと人間の女性との間に生まれた男児カルナの額についていたのがこのダイヤモンドだったと言われています。
史実で初めて登場するのが、1526年。北インドにムガル帝国を打ち立てたバーブルが戦利品として所有、歴代の皇帝に引き継がれていきます。1739年にペルシア(今のイラン)がインドを制圧した際、ペルシアの王ナーディル・シャーの手に渡ります。その後、ペルシアやインドの権力者の手を転々とし、19世紀にはムガル帝国から独立した北インド・パンシャーブ地方のシク王国ランジート・シング王のもとにたどり着きました。
ランジート・シングは、領土を北西インド一帯まで拡大、巧みな外交戦略でイギリスの植民地支配を寄せ付けず、このダイヤモンドを腕に身に着け自身の権力を誇示していました。彼の死後、権力の座を巡って子供たち同士が殺し合い、最終的に王位は彼の末の息子でわずか5歳のドゥリープ・シングにゆだねられることになります。
イギリスは、幼い王であったことや国の弱体化に乗じてシク王国に戦争を仕掛けパンシャーブ地方を併合、さらに講和条約により「コ・イ・ヌール」はイギリスへ譲渡されます。
東インド会社を経て1850年にイギリスのヴィクトリア女王に献上された「コ・イ・ヌール」は、ロンドンで開催された第1回万国博覧会に出品されます。186カラットという大粒のダイヤモンドは、万博の目玉として期待されていたのですが、インド式のムガルカットと呼ばれるカットは輝きが少なく、来場者をがっかりさせることになってしまいました。
このカットは、腕輪にセッティングされて横から光を当てると美しい輝きを放つのですが、ルース(裸石)で正面から見ると残念ながらガラス玉のようにしか見えず、ヴィクトリア女王の命によりブリリアントカットにリカットされ、現在の108.93カラットになったということです。オールドカットが見直されている現在、希少ともいえるムガルカットがもう見られないのはちょっと残念な気がしますね。
ところで「コ・イ・ヌール」は、男性が所有すると不幸が起こる、女性は逆に長く豊かな人生が送れるという伝説があります。そのためイギリスでは、代々女性のみが「コ・イ・ヌール」を着用することとなり、現在はエリザベス皇太后の王冠に収まっています。
また多くの王冠がロンドン塔に保管されていますが、この王冠の手入れに男性スタッフは近づかないとか。
インド、パキスタン、アフガニスタン、ペルシアとさまざまな国の権力闘争の象徴として君臨した「コ・イ・ヌール」、今はロンドン塔の展示室で静かにその輝きを放っています。
Top画像出典:en.wikipedia.org
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