映画ファンを魅了した「ヌーヴェル・ヴァーグ」を振り返る
ファッション、カルチャー、生き方にまで影響を及ぼした「ヌーヴェル・ヴァーグ」が、今また注目されています。
Text=Takahashi Yoshiko
「ヌーヴェル・ヴァーグ」とは、フランス語で「新しい波」という意味です。フランス映画を語る時、この「ヌーヴェル・ヴァーグ」という言葉は、1950年代末に始まった新しい映画のムーブメントを指します。
当時、フランスでは多くの若い映画作家が新しい形の映画を撮り始めていたので、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の発端には諸説あります。しかし、1954年に映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』にフランソワ・トリュフォーが寄稿した『フランス映画のある種の傾向』という論文によって、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の存在が宣言されたと言っても良いでしょう。
まだ21歳だったトリュフォーが書いたこの論文はかなり過激で、当時フランスの映画界を席巻していた、文学的な香りのする高尚でエレガントなスタイルの映画を完全に否定しています。それらの映画で主導権を握っていたのは文学的、演劇的なセリフを書くシナリオライターで、監督はただ撮るだけの職人でした。
一方、トリュフォーをはじめとする「ヌーヴェル・ヴァーグ」の作家が欲していたのは、もっと日常的で生々しい表現と映画作家自身の自己表現だったのです。この目的を達成するため、彼らは即興の演出、あとで声を入れるのではなく同時録音、ロケを中心にするといった手法を選びました。その結果、次々に瑞々しさや生々しさに溢れた、これまでにないスタイルの名作が生まれていったのです。「ヌーヴェル・ヴァーグ」が生んだ映画で最も知られているのは、おそらく『勝手にしやがれ』(1959)でしょう。フランソワ・トリュフォー原案、ジャン=リュック・ゴダール監督のこの作品は、とても斬新な手法で「ヌーヴェル・ヴァーグ」の象徴的な作品になりました。
もう1本、時の大臣アンドレ・マルローの推薦でカンヌ映画祭監督賞を受賞し、ジャン・コクトーが絶賛したことで、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の名を世界に広めた作品がトリュフォーの『大人は判ってくれない』(1959)です。放埓な生き方をする早熟な12歳の少年を描いたこの作品は、トリュフォーの自伝的な作品とも言われています。
この2本以外にも、ゴダールの『女は女である』、『気狂いピエロ』、トリュフォーの『ピアニストを撃て』、『突然炎のごとく』、エリック・ロメールの『獅子座』、クロード・シャブロルの『美しきセルジュ』、アラン・レネの『去年マリエンバートで』など、「ヌーヴェル・ヴァーグ」は映画史上に残る名作を数多く生み出しました
左/アンナ・カリーナ。中/ジャン=リュック・ゴダール。右/フランソワ・トリュフォー。
新しい感性をもったヒロインたち
「ヌーヴェル・ヴァーグ」の作品が今も愛される理由は、決して古くなることがない斬新で瑞々しい作風が人々を惹きつけてやまないからでしょう。さらに、今までにない魅力を持ったヒロインたちを誕生させたことも大きな理由であると考えられます。
『勝手にしやがれ』のヒロイン、ジーン・セバーグは現在もたびたび雑誌に取り上げられるファッション・アイコンです。「セシル・カット」と呼ばれた超ショートヘア、Tシャツにスリムパンツ、ボーダーのワンピースといった彼女のフレンチ・カジュアル・ファッションは、まだ保守的で女性らしいファッションが主流だった当時は、かなり過激な若者スタイルだったことでしょう。現在では、そのスタイルは若者にとって普遍的なものとなり、セバーグの着こなしがお手本となっているのです。
もう1人、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の申し子のような女優にアンナ・カリーナがいます。アンナはデンマークのコペンハーゲン生まれ。17歳の時にパリにやってきて、スカウトされ、モデルになりました。初めての仕事はピエール・カルダンのマヌカンでした。「アンナ・カリーナ」は芸名で、何とココ・シャネルが名付けてくれました。アンナがモデルとして、いかに注目されていたかを示すエピソードです。1960年には、ゴダールの『小さな兵隊』に抜擢されて、映画に初出演。その後、『女は女である』、『女と男のいる舗道』、『気狂いピエロ』など、多くのゴダール作品にヒロインとして登場します。彼女はまさに、ゴダールのミューズで、プライベートでも61年にゴダールと結婚しています(この結婚は残念ながら、4年しか続きませんでしたが)。
アンナは大きな瞳が印象的な小悪魔的魅力をもっていました。ゴダール作品の中のファッションは、クルーネックのセーター、開襟のブラウス、丸首のカーディガン、膝丈のスカート、シンプルな膝丈ワンピースといったベーシックなアイテムをコーディネートしたものですが、色の組み合わせや着こなしが粋で可愛らしいのです。さらに、60年代っぽいヘアスタイル(時にはアップスタイル、時にはボブ)や目を強調したメイクも魅力的です。アンナもジーン・セバーグと同様に現在もファッション・アイコンとして人気の的です。
また、この夏に惜しまれながら世を去った大女優、ジャンヌ・モローも「ヌーヴェル・ヴァーグの恋人」と呼ばれていました。ルイ・マルの『死刑台のエレベーター』、トリュフォーの『突然炎のごとく』などに主演したモローは、その演技力で人々を魅了しました。また、私生活でも自由で自立し、まさに「ヌーヴェル・ヴァーグ」的な生き方をした人でした。モローの場合はシックで大人っぽいファッションももちろん素敵ですが、その生き方に憧れる人が多く、新しい時代の女性像を体現した女優だったと言えるでしょう。
「ヌーヴェル・ヴァーグ」は、後世の映画にも、ファッションにも多大な影響を与え続けています。映画史上で他に例を見ることができない大きな「革命」だったと言えるでしょう
左/ジャンヌ・モロー。スペインのサン・セバスティアン国際映画祭にて。2006年。右/ジャン=ポール・ベルモンド。カンヌ国際映画祭にて、2011年。
TOP画像 : アンナ・カリーナ主演「女は女である」のポスターを見入る年配の男性。1964年。
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