NO.291 スミソニアンにある、もう1つのブルーダイヤモンドの話
Text=Brand Jewelry
ブルーハートダイヤモンドは、かの有名なホープダイヤモンドに引けを取らず美しいものの、悲劇のストーリーを持たず、博物館の片隅で燦然と輝きを放っています。
カルティエ、VCA、ハリー・ウィンストンへ。所有者を変えながら、華やかさを増大させたダイヤモンド
ブルーダイヤモンドといえば、当サイトでもご紹介したアメリカ、スミソニアン自然史博物館のホープダイヤモンドhttps://brandjewelry.shop/magazine/2022/08/17/story-hopediamond/があげられるでしょう。
ホープダイヤモンドは、9世紀ごろインドで発見されてから数奇な運命をたどり、「呪いのダイヤモンド」というセンセーショナルなキャッチコピーですっかり有名になりました。しかしスミソニアン博物館には、ほかにも大粒のブルーでハートシェイプのダイヤモンドがあるのはご存じでしょうか?
そのブルーハートダイヤモンドは、一時所有者であったアルゼンチンのウンスエ家にちなんで、別名「ウンスエ・ダイヤモンド(Unzue diamond)」と呼ばれています。1908年南アフリカのプレミア鉱山で発見されたときには、このブルーハートダイヤモンドの原石は100.5カラットもありました。プレミア鉱山といえば、1905年にイギリス王室に献上された世界最大のダイヤモンド原石カリナンダイヤモンドや、ゴールデンジュビリーを産出したことで一躍有名となった鉱山。現在でも世界的なダイヤモンドの産地として知られ、特に良質で大粒のブルーダイヤモンドが多く産出されています。
話を元に戻しましょう。その後ブルーハートダイヤモンドは、1909年パリのフランスの宝石商が購入し、1910年30.62カラットのハートのブリリアントカットに加工されました。同年フランスのピエール・カルティエが購入。スズランのコサージュのセンターピースにセットし、アルゼンチンのウンスエ家が購入しました。
ブルーハートダイヤモンドは43年間ウンスエ一族に所有され、1953年ヴァン クリーフ & アーペルが買収し、カルティエのネックレスに付いていた 2.05カラットのピンクダイヤモンドと、もう1つの3.81カラットのブルーダイヤモンドと一緒にセッティングし、ペンダントに再加工しました。その後、スイスのハンス・ハインリヒ・ティッセン=ボルネミッサ男爵の手に渡り、やがてハリー・ウィンストンの手に渡りました。
ハリー・ウィンストンは、ブルーハートダイヤモンドの周囲に、25個の無色ラウンド ブリリアントカットダイヤモンドをセッティングし、プラチナリングに再々加工。1960年アメリカ社交界の名士であるマージョリー・メリウェザー・ポスト夫人がハリー・ウィンストンからリングを購入します。1964年彼女はリングをスミソニアン博物館に寄贈、現在に至っています。
ブルーハートダイヤモンドは、かつては産地が不明でインドか南アフリカのいずれかであると考えられていました。一時はナポレオン3世 (1852~1870)の妻ウジェニー・ド・モンティジョ皇后が所有したという噂があり、誤って「ウージェニーブルー」と呼ばれていたこともありました。しかし現在の所有者であるスミソニアン自然史博物館の科学者たちのたゆまぬ研究、努力の結果、産地や産出時期が判明し、現在ではいくつもの噂は虚偽であることもわかっています。
サイズは30.62カラット。ホープの45.52カラットに比べ少し小ぶり。ホープのようなミステリアスなストーリーは見当たりませんが、ブルーハートブリリアントカットの輝きはホープにも引けを取りません。スミソニアンに行く楽しみがまた一つ増えました。
トップ画像出典:naturalhistory.si.edu
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イタリアの金細工技術とエナメル技術を調和させたブローチ。パープルからラベンダー、ホワイトへと移り変わるエナメルのグラデーションがきれいです。花のチャームが揺れてダイヤモンドがきらりと輝きます。
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