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ジュエリーと、ジュエリーにまつわるさまざまなエピソード

NO.296 「ダイヤモンド・キング」と呼ばれた男、アーネスト・オッペンハイマー

日本人がオッペンハイマーの名から思い付くのは「原爆の父」ロバート・オッペンハイマー。映画『オッペンハイマー』が公開され、その名を知っている人も多いでしょう。ところでもう一人、有名なオッペンハイマーがいます。今回はその人物を取り上げます。

ダイヤモンドの歴史に名を刻んだアーネスト・オッペンハイマーは、ドイツの煙草販売商人の8番目の子供(五男)として誕生しました。16歳でロンドンに渡り兄弟の勤めるダイヤモンド会社に就職、現場でダイヤモンドの仕分けを学びます。やがて彼は、社内随一のダイヤモンドのアソート技術者へと成長します。

ロンドンで豊かな人脈を形成しました。たとえば後のアメリカ大統領ハーバート・フーバーもこの頃からの友人です。後にオッペンハイマーが「ダイヤモンド・キング」になれたのは、彼らの支援があったのも一因です。1912年、会社の指示で南アフリカのキンバリーへ赴任。15年間ダイヤモンドの仕分け作業に従事しながら、キンバリー市長にも就任しました。アメリカ企業と共同で金鉱脈の開発に参画するなど、鉱山事業全体に精通していたことでも知られています。その後、彼は南アフリカのデビアスに移籍します。

1920年以降になるとアフリカでは次々にダイヤモンド鉱脈が見つかり、ダイヤモンドの供給量は膨れ上がっていました。供給量が多くなりすぎると、ダイヤモンドが値崩れを起こしダイヤモンド業界が破綻する恐れがあります。そこで役員に登り詰めたオッペンハイマーは、鉱山の段階で採掘するダイヤモンド原石の量を調整し、原石の売り先をメンバーズオンリー(見ず知らずの人には売らない)、また販売価格も販売量もコントロールするという方策を立て実施しました。ダイヤモンドの巨大シンジゲート、デビアスの誕生です。

しかしその後、ロシア、オーストラリア、カナダ、中国などからデビアス社の傘下ではない新しいダイヤモンド鉱山が発見され、デビアスの独占的な体制は緩みつつあります。とはいえ21世紀の現在でもデビアスが構築したシステムは生かされ、ダイヤモンドの価値は一定に保たれ、末端価格に至るまで大きな価格変動が起こらないようになっています。

オッペンハイマーの名が付く巨大ダイヤモンド

アーネスト・オッペンハイマーの名前を冠した「オッペンハイマー・ダイヤモンド」は有名です。これは、1964年キンバリーの鉱山で発見されたイエローダイヤモンドの結晶で、重さは253.7カラット (50.74 g) 、ほぼ完璧に形成された世界最大のアンカットダイヤモンドの1つです。ハリー・ウィンストンが購入し、オッペンハイマーを追悼してスミソニアン博物館に寄贈しました。

オッペンハイマーの名のついたダイヤモンドはほかにもあります。それは、「オッペンハイマーブルー」。オッペンハイマーの甥、フィリップ・オッペンハイマー(1911-1995)が生前所有していた14.62カラットのブルーダイヤモンドです。2016年にオークションにかけられ、研磨済みダイヤモンドとしては当時、史上最高値の5754万ドル(約63億4000万円、手数料込み)で落札されました。

大富豪となったアーネスト・オッペンハイマーの死後、その遺志は息子のハリー・オッペンハイマー(1908-2000)に引き継がれ、孫息子である元デビアス会長ニッキー・オッペンハイマー(1945-)、その息子で元デビアス役員のジョナサン・オッペンハイマー(1969ー)はオッペンハイマー財団を運営しています。

トップ画像出典:en.wikipedia.org

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ダイヤモンドの合計0.5ct、トップの直径が約1.3cm。胸元で存在感を放つダイヤモンドネックレスです。フラワーモチーフになるようにいくつものダイヤモンドをセッティングし、一部に設けられた空間により、デリケートな雰囲気が漂います。
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