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大英帝国王冠を彩る取り外し自由の真珠 (Vol 1)

Written by Watanabe Midori

渡邉みどり ジャーナリスト。文化学園大学客員教授。東京都出身。早稲田大学卒業後、日本テレビ放送網入社。1980年「三つ子15年の成長期録」で日本民間放送連盟テレビ社会部門最優秀賞。昭和天皇崩御報道の総責任者。1995年『愛新覚羅浩の生涯』で第15回日本文芸大賞。『英国王冠をかけた恋』、『美智子さま「すべては微笑みとともに」』など著書多数。

イタリア、フランス、スコットランド、イングランドの王妃、女王に脈々と受け継がれ、現在はエリザベス二世が戴く王冠に飾られた4つの真珠。4世紀以上にわたるドラマティックな歴史を振り返ります。


英国のエリザベス二世女王陛下が国会開会の日におつけになる大英帝国王冠。インペリアルススティッククラウンは重さ1.06kg。高さ31.5cm。日頃はロンドンのジュエルハウスに展示され一般公開されている。ちなみにこの王冠を飾る宝石の数を紹介しよう。ダイヤモンド2873個、サファイア17個、エメラルド11個、ルビー5個、真珠はなんと273個もちりばめられている。実はこの王冠の後側に英国王室の厚みを象徴する4粒のしずく型天然真珠がある。女王陛下は、取り外し自由の、このしずく型の真珠を折に触れイヤリングとしてご着用になると伺った。天然真珠独特のオーラを放つこの真珠の最初の持ち主は誰であろう。イタリア・フィレンツェのカトリーヌ・ド・メディチ(1519-89)だ。1533年イタリア・ルネサンスのヒロイン、メディチ家の姫君、カトリーヌとフランスのアンリ二世の縁談が調った。この時カトリーヌの叔父ローマ教皇クレメンス七世が王家に嫁ぐ姪に結婚祝い品として真珠を贈った記録が残っている。それは6本の天然真珠のネックレスと25個のバラバラの真珠だった。まだ養殖真珠がなかった16世紀。真珠といえば海女が命がけで海に潜って取る飛びきりの高級品。特別な立場の女性しか身につけられない貴重品だ。この中に女王陛下がイヤリングとしてご着用になる4粒のしずく型の真珠が含まれていた。

大英帝国王冠

カトリーヌ・ド・メディチの真珠

ヴェルサイユ宮殿に残るカトリーヌ・ド・メディチの肖像画は王妃にふさわしい威厳とエレガンスがある。黒地に大粒の真珠と宝石の刺繍が施されたドレスと真珠のティアラ。秀でた額と独特の三白眼の目力(めぢから)が印象的だ。フランス王家に嫁ぎ、アンリ二世妃として30年間君臨し歴史的にはサン・ヴァルテルミの大虐殺の首謀者の1人としても名高い。1558年息子のフランス皇太子(フランソワ二世)がスコットランドのメアリと結婚する。この時、彼女が叔父から贈られた貴重な真珠を息子の嫁、スコットランドのメアリ(1542〜87)に結婚祝い品として贈った。

左:カトリーヌ・ドゥ・メディチ。  右:スコットランド女王メアリ。

スコットランドの女王メアリの真珠

今に残るメアリの肖像画は、エジンバラのホリルード宮殿に飾られている。メアリは大粒の真円真珠をふんだんに使った首飾りとベルト、襟元にはめったに見かけない真珠のボウ(たま結び)をつけている。この装いから見てもメアリがフランス皇太子妃として、いかに大切にされていたかがわかる。しかし3度の結婚、そしてスコットランド・イングランド・フランスと三つの継承権を持ったことが女王の運命を狂わせた。メアリは1587年、大叔母エリザベス一世(1533-1603)に処刑されている。この時メアリの姑でもあり代母(洗礼母)でもあったフランスのカトリーヌ・ド・メディチは結婚祝いとして嫁メアリに贈った真珠の行方をイングランド駐在のフランス外交官メルヴィル大使に探させた。しかし、時すでに遅くメアリの宝飾品は、すべてエリザベス一世が4000ポンドで買い取り、己のものとした。フランス王妃が結婚祝いとして嫁のメアリに贈った貴重な天然真珠はフランスに戻ってくることはなかったのである。 Vol2に続く

 

Brand Jewelry 2014 S-A より抜粋 *当サイトの情報を転載、複製、改変等は禁止いたします

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