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ジュエリーと、ジュエリーにまつわるさまざまなエピソード

No.51 「アイアンジュエリーコレクション」展 ドイツ、フォルツハイムジュエリーミュージアム

BJI ブログ No.51

現代のジュエリーは、地金にゴールド、シルバーまたはプラチナを使うことがほとんど。しかし、かつて「アイアン(鉄)」が一世を風靡した時代がありました。

2021年7月16日から2022年2月6日までドイツ・フォルツハイムジュエリーミュージアムでは、過去25年以上の間蒐集され、現在は同ミュージアムに寄贈されたKlaus-Peter and Judith Thomé (クラウス ペーター&ジュディス トメ)のプライベートコレクションから、アイアンジュエリー作品を楽しむことができます。

ヨーロッパ、とくにドイツ、フランス、イギリスで18世紀後半から19世紀半ばまで人気だったアイアンジュエリー。特に「ベルリンアイアンジュエリー」と呼ばれるベルリンやポーランド西部のグリビツェという町に鋳造された鉄で作られたジュエリーは、歴史的にも価値の高いもので、今日ではコレクターズアイテムとして、博物館や個人蔵で見ることができます。(今の鉄のイメージとは全く違いますね)

アイアンジュエリーは、その黒い鉄の色から当初、主に喪に服す際に着ける「モーニングジュエリー」として使用されていました。特に、国民に慕われたプロイセン王国(現在のドイツ北部からポーランド西部)の王妃ルイーゼ フォン メクレンブルク シュトレーリッツが1810年34歳の若さで亡くなった際、多くの女性が黒いアイアンジュエリーを身に着け、それは彼女の名にちなんで「ルイーゼペンダント」、または「ルイーゼブローチ」と呼ばれました。

王妃ルイーゼの死から3年後の1813年ドイツ解放戦争が起こり、当時国内に駐留していたフランス軍に蜂起する資金に充てるため、プロイセン王が市民に金や銀のジュエリーを供出するよう要請、そのかわりに市民は鉄のブローチや指輪を与えられました。

それまで「喪」のイメージだったアイアンジュエリーは愛国心や忠誠のシンボルとなり、見た目も美しいものも登場し一躍人気となりました。中にはプロイセンの建築家、カール フリードリッヒ シンケルが手がけたものもあるということからも、当時アイアンジュエリーがいかにステータスのあるものだったことがわかりますね。鉄が金に代わり、価値の高いものになるとは現代では考えられませんが……。

19世紀半ばに一旦その人気は衰えますが、第一次世界大戦中にドイツが戦費調達のために似たようなプロモーションを行い、ファッショナブルなリング、ブローチ、メダルが作られ、そこには「私は鉄のために金を与えました」のような文字が刻まれているものもあるというから、びっくり!

展示されるのは、細やかな鉄線で作られた花のチョーカーネックレス(1820-30年)、植物柄の文様が施されたバックルベルト(1820年ごろ)など、繊細かつ芸術性の高いもの。「鉄」のイメージがちょっと変わりました。

来年の2月までという長いスパンの展示会だから、ひょっとしたら、足を運ぶことができるかもしれません。

*Judith Thomé(ジュディス トメ)は、アメリカ生まれ、1970年代後半から歴史的に価値のあるジュエリー蒐集をスタート。1995年のオークションで初のアイアンジュエリー、メダリオン付きのベルリンアイアンネックレスを落札。その後160点ものアイアンジュエリーを蒐集しています。

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トップ画像:Klimt02.net HPより


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