ロンドン・チープサイドで発掘された宝石の謎
Text=Yasuko Nazerali Special thanks to Museum of London
20世紀初頭のロンドン。古い建物の解体現場で宝石がぎっしりと詰まった木箱が発見
されました。300年の時を経て現れた埋蔵品は、ロンドン博物館に収蔵されています。
ロンドン中心地の財宝
古い建物の解体現場で様々な宝石が発見されました。 夢のような話ですが、1912年に起きた実話です。 ロンドンの中心地にあった金細工商の店の地下室跡の床下から朽ちた木箱が見つかりました。 その箱の中には宝石が500点近くも入っていたのです。しかし労働者たちはこっそりとポケットや帽子の中に宝石を隠し持ち、近くのパブで質屋の「ストーニー・ジャック・ロレンス」に会い換金していたのでした。 宝石は次々と現金や一杯のビールに交換されていきました。 場所はセント・ポール大聖堂に近いチープサイド。 「ストーニー・ジャック・ロレンス」は後にロンドン美術館からチープサイドの発掘作業の検査官に任命される人物です。 ロレンスが集めた宝石の調査を始め、由来が徐々に紐解かれていきました。
左 : ロンドン美術館から調査役を任命された「質屋のジャック」こと、ロレンス。右:財宝が発掘された頃のロンドンのチープサイド。* チープサイドはロンドンの通りの名前。財宝が見つかった場所はロンドン博物館(現在は閉業中)の近く。2014年にはロンドン博物館で展覧会が開催された。この財宝に関する書籍『London’s Lost Jewels: The Cheapside Hoard』も出版されている。
歴史的にも重要なこの宝庫の中身には、ほとんどがエリザベス朝からジェームズ1世時代(16 – 17 世紀)のジュエリーで、指輪、ペンダント、チェーン、イヤリング、カラーストーン、装飾品などが含まれていました。 1500年も遡るビザンチン帝国の宝石、小さなりんごほどあるエメラルドをくり抜いてカットを施したポケットウォッチ、そして色とりどりのカボションカットのカラーストーンやテーブルカットのインド産ダイヤモンドの指輪などもありますが、 残念なことに400 粒余りの真珠は湿気に負け、 艶を失っていました。
左上:純金と白いエナメルで製作された香油入れ。ルビー、ピンクサファイア、スピネル、ダイヤモンドがセットされている。中:ビザンチン帝国のアメシストのカメオ。右上:コロンビア産エメラルドのポケットウォッチ。右下:ゴールドにエナメルのクロスペンダント。左下:トカゲモチーフのハットピン。コロンビア産カボションカットのエメラルド。
持ち主はどこへ
調査の結果、この埋蔵品は 1640年から1666年の間に埋められたものであると判明しました。 誰がなぜ埋めたのでしょうか? どうして持ち主が現れなかったのでしょうか?17世紀のチープサイドは宝飾店の並ぶ華やかな繁華街で、銀行に貸し金庫のない時代でした。 店主は商売用だった宝石を大事に隠し、 買い付けのために国外に出たのでしょうか。あるいは 1642年に始まった内乱で兵士として出征したのかも知れません。 いずれにしろ、後で戻ってくるつもりだったはずです。 さらに 1666年の大火事でロンドン一帯の家屋が焼失したこともあります。 そして忘れ去られた宝石は地下で300年近く深い眠りについたのです。
調査を進めるにつれて、過去の怪しい交易、悪徳商法(宝石の中には偽ルビーも混じっていました)、 殺人までもが発覚しました。1931年にはジェラルド・プルマンという名の宝石商がペルシャからロンドンに帰る航海で毒殺されています。 安全な航海を願ったプルマンは東インド会社に高い旅費を払いましたが、殺されて盗まれた宝石はごっそりとチープサイドに持ち込まれました。宝石売買が犯罪行為と絡むことが日常的な時代でした。 いずれにせよチープサイドからの発見は、近代初期からロンドンが世界貿易の拠点であったことを認識させてくれます。
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