NO.270 平安朝の時代に輝いていた、金銀そして宝石の物語
Text=Brand Jewelry
日本にはジュエリーの歴史がないと言われますが、本当にそうでしょうか。ジュエリーと呼ぶと語弊がありますが、日本ならではの装身具が平安時代の頃より発展していました。
雛人形の男雛の衣裳にもその片鱗が見られる
60年の歴史を持つNHKの大河ドラマ。戦国時代や江戸時代の作品が多い中で、2024年1月スタートしたドラマは、珍しく平安時代が舞台となっていますね。平安時代と言えば、女性は長い髪をおろし十二単を着用。
着物自体が装飾性の高いものだったためか、古代の装身具(指輪や耳輪、首飾り)を身に着ける文化が途絶えてしまいます。その状況は安土桃山時代、西洋文化が入ってくるまで続いていました。ただし、当時宝石や貴金属がまったく使われなかったというわけではなさそうです。
たとえば、宮廷に出仕する役人や貴族が締める帯の1つ、「石帯(せきたい)」。素材は牛革。そこに黒い漆が塗られ、端には刺金(さすが)という金具がついていて、帯のところどころに空いている穴にそれを通したもの。現代でいう「ベルト」のような役割をしていました。
帯には四角形や丸型の飾りの石が嵌め込まれ、身分の高さによって素材が違っていました。身分の高い貴族は、銅に金銀のメッキを施した石がついた帯、低い貴族や役人は銅に黒漆を塗った石がついた帯といった具合。帯に並んだ宝石の種類も官位の上下を表していたのだとか。
雛人形の男雛の衣裳(束帯)にも、石帯を締めたものが多く見られます。「天皇用の石帯は、革の長さ約210cm、幅約18cmのベルトに12cm角のメノウを使った」という文献も残っています。
古くから日本各地で産出してきたメノウ、石帯に使われていたものも国産のものでしょう。ただ「和名類聚抄」という平安時代の辞書には、「波斯(はし)瑪瑙(メノウ)帯」という表記があります。「波斯」とはササン朝ペルシア、現在のイランを指す地名。当時は国産メノウではなく、わざわざ外国産の瑪瑙を使っていた石帯もあったというわけです。
一方、貴金属を使った建築物や工芸品としては、平安時代に金銀を使った寺院が各地で建立されていることにも注目。代表的なものが、ユネスコ世界遺産にも登録された平泉の中尊寺金色堂でしょう。
金色堂の内外は仏具を含めすべて金で覆われ、内陣には、シルクロードを通してもたらされた夜光貝を用いた螺鈿細工、象牙や宝石が贅沢に使われています。
マルコポーロの『東方見聞録』では、中国から伝え聞いた「純金の屋根を持つ宮殿」がある「ジパング」(日本)という地名が登場します。一説によると、この宮殿は金色堂ではないかと考えられています。真偽のほどは別として、歴史のロマンを感じますね。
装身具を身に着ける文化が衰退しても、宝石や貴金属が「富」や「権力」の象徴であることは現代とあまり変わらない、そんなことを実感させます。
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TOP画像出展:Flickr
イタリアの金細工技術とエナメル技術を調和させたブローチ。パープルからラベンダー、ホワイトへと移り変わるエナメルのグラデーションがきれいです。花のチャームが揺れてダイヤモンドがきらりと輝きます。
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