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ジュエリーと、ジュエリーにまつわるさまざまなエピソード

NO.294 日本における婚約指輪の歴史。オランダ人が持ち込んだ1粒の輝き

Text=Brand Jewelry

ダイヤモンドの和名は金剛石。仏教用語からつけられました。「とても硬くて絶対壊れないこと」「強い志や精神性の高さ」を意味しています。

4月の誕生石といえば、ダイヤモンド。婚約指輪に選ぶ宝石としてもNo.1の人気を誇っていますね。硬度が最も高いことから「固い絆」、透明感のある輝きから「純潔」という意味をもち、まさに婚約指輪のイメージにぴったり。

和名の金剛石は、仏教用語の金剛不壊(こんごうふえ)という言葉からとられたもので、「とても硬くて絶対壊れないこと」「強い志や精神性の高さ」を意味しています。

ダイヤモンドの婚約指輪の起源は、15世紀頃。ハプスブルク家のマキシミリアン大帝(後の神聖ローマ皇帝)とブルゴーニュ公国シャルル公の娘であるマリアが婚約する際に贈られたのが、史実に残る最初のダイヤモンドの婚約指輪とされています。

その後長い間、ダイヤモンドは王侯貴族など富裕な人々だけが所有できる希少なものでしたが、19世紀に入り一般の人たちにも広まっていきます。1866年南アフリカでダイヤモンドの鉱山が発見され、ダイヤモンドが安定して供給されたことが一因です。

オランダ人がもたらしたダイヤモンド

ところで、日本でダイヤモンドが入った指輪が登場したのはいつからでしょう。1763年(安政3年)平賀源内が主催した物産会の出品記録の中に記載があり、「オランダ人から入手した」とあります。

1870〜71(明治3~4)年頃、長州(今の山口県)の毛利氏の依頼で初のダイヤモンドリングが作られたという言い伝えがあります。しかしその根拠を示すものは発見されていません。

1878(明治11)年、夫の井上馨のヨーロッパ視察に同行した夫人、武子はパリ滞在中にシャンゼリゼ通りの高級宝石店で1カラットのダイヤモンドの指輪を購入。日本女性のダイヤモンド購入記録としては、一番早いものだと言われています。その後彼女は、ダイヤモンドのブローチやネックレスなども買い求め、洋装で夜会に参加した際それらを身に着けた彼女の姿は大きな評判となりました。

婚約指輪が日本に登場したのは、江戸幕末期。鎖国から開国へと幕府の政策が転換したことがきっかけとなります。明治時代になると「婚約指輪」という言葉が一般にも行き渡るようになります。たとえば、1881(明治14)年12月に初演の開化風俗を取り入れた歌舞伎には、夫婦の約束としての指輪、つまり婚約指輪が語られる場面があります。

同時代に生きた日本の華族で教育者の大山捨松(すてまつ)は1883(明治16)年、陸軍卿の夫、大山巌との婚約の席で婚約指輪を贈られています。

明治中期には貴金属宝石商が誕生し、宝石の細工技術を競うようになります。富裕層を中心に婚約指輪や結婚指輪という習慣が日本でも根付いていきます。

太平洋戦争時になると、海外から宝石の輸入が止まり、ダイヤモンドや貴金属の供出が義務化され、日本の宝飾文化は一旦途絶えてしまいます。

婚約指輪が現在のようなダイヤモンドをセットしたものというイメージが出来上がり、一般庶民に広く浸透していったのは、戦後の高度成長期の後期(1970年代前半)でした。半世紀を過ぎた現在もその輝きは、結婚を夢見る女性の憧れですが、その一方、婚約指輪を不要と考える人がいることも否定できません。しかし人生の重要な節目の一つである結婚。その印として、ダイヤモンドほどふさわしいものはないようにも思えますが、いかがでしょうか。

トップ画像出典:Bridal Jewelry ブランドジュエリー特別編集から

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ダイヤモンドの合計0.5ct、トップの直径が約1.3cm。胸元で存在感を放つダイヤモンドネックレスです。フラワーモチーフになるようにいくつものダイヤモンドをセッティングし、一部に設けられた空間により、デリケートな雰囲気が漂います。
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