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エキゾティックジュエリーの系譜、ブシュロン

ブシュロンの2代目、ルイ・ブシュロンがインドで得たインスピレーション。それは現在もブシュロンのスタイルの要です。

Text=Takahashi Yoshiko / Watanabe Ikuko


 1893年にヴァンドーム広場に初めて店を構えたジュエラーがブシュロンでした。創業者のフレデリック・ブシュロンはジュエリー制作において、つねに先駆の精神を持ち、希に見る才能に溢れた人物でした。クラスプのないネックレス、さまざまな方法で身につけることができるマルチなジュエリーなど、フレデリックのアイデアは斬新で現在のジュエリー界にも大きな影響を残しています。また、メゾンを代表するモチーフである、斬新なセルパン(ヘビ)のモチーフを考え出したのもフレデリックでした。
 そんな彼はおそらく1800年代末期にイギリスやフランスの宝飾界で注目されていたインドにも関心があったに違いありません。しかし、フレデリック・ブシュロンは残念ながら、1902年にこの世を去ってしまいます。家業を継いだのは、息子のルイ・ブシュロンでした。ルイは土木技師でしたが、父からビジネスの手腕と宝石への情熱をしっかりと受け継いでいました。そして、インドにもいち早く注目をしていました。彼はインドとの絆を築くことを決意します。
 1909年にルイは初めてインドを訪れます。旅の目的はストーンの買い付けとジュエリーの販売でした。インドは1725年にブラジルでダイヤモンドの鉱山が発見されるまで世界唯一のダイヤモンド産出国でした。エメラルド、トパーズ、サファイヤなどの宝石も産出されていました。当時インドは宝石の買い付けをするには最適の場所だったのです。また、インドのマハラジャ達はパリやロンドンに旅行に来ることも多く、ヨーロッパのスタイルへの憧れを強めていたので、ジュエリーの販売にも大変良い場所でした。
 この旅の成果で、ブシュロンの人気はマハラジャの間でさらに高まっていき、1928年にはインド・パティアラのマハラジャ、プビンドラ・シンが7571個のダイヤモンドと1432個のエメラルドが詰まった6つもの大きなトランクを持参して、ヴァンドーム広場のブシュロンブティックにやってきました。マハラジャの依頼は、その宝石を使って芸術品と言えるような宝飾品を制作してほしいというもの。その結果、制作されたのは壮麗な7つのネックレスを含む、類を見ない149点の特注のジュエリー。ブシュロンがこの驚異的なオーダーに見事に応えたことは、もはやジュエリー界の伝説となっています。
 また、インドを訪れて以来、ルイのインドへの情熱はより熱くなっていきました。インドは創作のインスピレーションの源ともなっていました。その結果、ブシュロンのハイジュエリー制作にも、インドが深く影響を与えることとなります。ブシュロンのアニマルコレクションの中には、ゾウやトラのモチーフのものが今でも良く見られますが、これはインドの影響と言えます。華やかな色石の組み合わせのジュエリーにも、エキゾティックな香りがするものが多く、インドの影響が感じられます。進取の気質に溢れたジュエラーとインドの出会いは、ジュエリー史に残る名品をたくさん誕生させたのです。

1917年頃のヴァンドーム広場26番地のブシュロンブティック。

パティアラのマハラジャのために用意されたデザイン画。

1909年、インドを訪れたルイ・ブシュロン(中央)。


TOP画像上/ゾウのリング「ハティ」。WG・ブルー&パープル&ブラックサファイア・ブラウンダイヤモンド・ホワイトダイヤモンド。下/トラのリング「ティグル」。PG・BG・サファイア・ダイヤモンド・エメラルド・トルマリン。

Brand Jewelry 2014 S-Aより抜粋

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