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ジュエリーと、ジュエリーにまつわるさまざまなエピソード

NO.280 琉球女性たちのお守り的存在、ジーファーの歴史

Text=Brand Jewelry

沖縄では、火事が起こると、ジーファーを投げ込んで鎮火を願ったといいます。お守りとしても欠かせない髪飾りでした。

琉球王国の伝統的な金細工

狭いようで、広い日本。東西に延びる列島には様々な装飾文化が花開きました。北の大地、北海道のアイヌのジュエリーを取り上げた当ブログNo.274に続き、今回は南へ。

かつては琉球王国として栄えた沖縄のジュエリーを紹介したいと思います。日本史でいえば、室町時代から明治時代まで約450年続いた琉球王国には、伝統的な金細工があります。それは「くがにぜーく」または「かんぜーく」という装身具です。中でも代表的なものは、「ジーファー」と呼ばれるかんざしです。

日本本土(北海道を除く)でも室町時代から江戸時代かんざしが流行しましたが、琉球王国のものとは意味合いが違います。

本土は、髪をまとめるという実用的な一面とともに、当時の女性たちのファッションアイテムでした。一方、琉球王国では、身分を示すもの。位によってジーファーに使える素材が決められていました。たとえば、王族は金、士族は銀、平民は真鍮、角、べっ甲です。

江戸や京都ではべっ甲はとても貴重なもので、女性たちの憧れでしたが(ブログNo.266参照)、琉球ではランクが一番下。その理由は、べっ甲の材料となるタイマイというウミガメが温かい南方の海に生息しているため、琉球では入手しやすかったからと考えられています。

かんざしは女性だけでなく、男性も着用しました。男性用は髪差(かみさし)といい、やはり身分によって素材が違っていたということです。先端部分が龍や水仙、牡丹など、形もいろいろあり、位の高さによって決められていました。

デザインは、江戸のかんざしにはサンゴやメノウなどの宝石のついた玉かんざし、舞妓さんの髪飾りに見られるビラビラかんざしなど華やかなものがありますが、ジーファーはかなりシンプルで、細長いスプーンのような形をしています。これは、女性の立ち姿を表しているのだそう。琉球の女性にとって、ジーファーはお守りのようなもので、肌身離さず身に着けていました。火事が発生した際は、火中にジーファーを投げ入れ、鎮火を願ったといいます。

明治時代、琉球王国は終焉を迎え、日本政府の下、沖縄県となります。昭和に入り、日中戦争が始まるとジーファーの供出を求められ、6,000本以上のジーファーが献納されたという新聞記事が残っています。ジーファーを身に着けることがなくなり、長い髪の毛をショートにする女性も現れます。

さらに太平洋戦争後、職人や道具が失われたことにより、ジーファーをはじめ、沖縄の金細工は一時途絶えてしまいます。

しかし1960年代、民藝運動の流れを受け、老舗「金細工(くがにぜーく)またよし」の6代目、又吉 誠睦さんが中心となり、見事に復活を果たすことになります。

ジーファーの他にも、婚礼の際に親から娘へ贈られる7つのモチーフの房(チャーム)がついた指輪「房指輪」や、2本の銀線を結わえて作る「結び指輪」も復元されました。 現在、金細工またよしでは、7代目となる又吉健次郎さんがその伝統を伝えています。

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画像出展 : kuganizeiku-matayoshi.com

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