BJI ブログ

ジュエリーと、ジュエリーにまつわるさまざまなエピソード

No.43 香りを目で楽しむ「香水瓶」の今と昔

BJI ブログ No.43

東京庭園美術館で、2021年6月26日(土)-9月5日(日)ルネ ラリックの展示会が開催されます。ラリックと言えばジュエリー作家、そしてガラス工芸家として有名ですが、まず「香水瓶」を連想される方も多いのではないでしょうか。

香水商フランソワ コティとの出会いをきっかけに、目には見えない香りの魅力やイメージを香水瓶によって表現するようになりました。ラリックの時代、香水瓶は芸術作品と見なされ、コスト度外視で美しい作品が数多く制作されました。

彼が手がけた香水瓶は400点以上、彼の仕事の中でもかなり重きが置かれていたアイテムと言えるでしょう。

ところで、香水瓶っていつごろから登場していたのでしょうか。

なんと、紀元前の時代から王様や貴族の調度品として使われていたそう。

香料は、古代メソポタミア時代、古代エジプト時代、古代ギリシア時代、古代ローマ時代からゴールドと同じ、もしくはゴールドより価値があると見なされ、その入れ物である香水瓶が装飾性の高い美しい容器であったことはいうまでもありません。

16世紀、イタリアの調香師ルネがパリに香水店を開き大成功し、カトリーヌ ド メディシスが香水やおしろいの生産を奨励したことから香水の使用量が増え、その入れ物もますます豪華なものが登場します。シャルル5世は、エメラルドとルビーと真珠で飾られた香料容器やゴールドと琥珀、アゲート、エナメルなどが施された香料入れを持っていたそう。

また、香水瓶は、形も年代によってさまざまに変化。

古代では何らかの台の上において立たせていたものが、年月を経て携帯するようになりました。17世紀には入れ物が2つ以上の瓶と漏斗がセットになり、瓶にはそれぞれ違う香りを入れ、貴婦人たちは小さな漏斗を使って好みの香りをカスタマイズしていたのです。

19世紀半ばになると、身分の高い女性たちは、セント ボックスと呼ばれる蝶番で開閉ができる蓋がついた金や銀製の小さな容器に香水をしみこませたスポンジを入れていました。この小箱を友人同士で回して、香りを楽しんでいたのです。

今のような香水瓶が登場したのは、19世紀後半。クリスタルガラスで知られるバカラが、同社が自社製造の香水瓶についてまとめた書籍によると、1889年当時、香粧品会社として人気だったVIOLET(ヴィオレ)社のために制作した小型香水瓶が最初だということです。

その後、バカラはロジェ ガレやゲランといった香水メーカーとともに歴史に残る香水瓶を制作しています。

そして先述のラリックが、香水瓶の黄金時代を築き上げました。

第二次世界大戦後は、芸術性の高い香水瓶は少なくなっていきますが、1945年スキャパレリがサルバドール ダリに依頼した「太陽王」、1949年ディオールがバカラに依頼した「ミスディオール」などはまだその名残を感じさせます。

現代の香水瓶は、「コストはほどほど」「量産に耐える」「量産しやすい」という条件の下、かつての美術品のようなものはすっかり影を潜めてしまいました。

ちょっと寂しい気はしますが、一方で有名ブランドの香水が日本の一般の女性も楽しめるようになったのは、幸せなこと。

手に入る香水瓶は芸術作品でないかもしれないけれど、それぞれ個性的でスタイリッシュ。

お部屋に置いても存在感を感じさせてくれますね。(C)

*参考資料:『アクセサリーの歴史事典(上)』八坂書房、『香水瓶の歴史』資生堂アートハウス

トップ画像:東京都庭園美術館「開催予定の展覧会」サイトより。


関連記事一覧

Translate »